奥尻島津波館へ|1993年の地震から25年目の島を、70代が歩いた(奥尻島④)

奥尻島津波館の外観|青空の下に立つ黒い壁の建物|1993年の地震から25年目の島を70代が歩いた 北海道の島

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※2018年9月の体験です。施設の営業状況は最新をご確認ください。

奥尻島を語るとき、避けて通れない場所があります。

1993年(平成5年)7月12日の夜、北海道南西沖地震が起き、奥尻島は大きな津波に襲われました。私が島を訪ねたのは、それから25年目の2018年9月です。

この記事は、観光案内というより「訪ねた記録」として、静かに書きたいと思います。

1993年7月12日、この島で起きたこと

先に、この島で何が起きたのかを短くまとめておきます。私が津波館で教わり、帰ってから公的な記録でも確かめた数字です。

  • 地震が起きたのは1993年(平成5年)7月12日の夜10時17分ごろ。マグニチュード7.8、震源の深さは約34kmでした
  • 津波は地震のあと数分で島に届きました
  • 津波の高さは、島でいちばん高かった藻内(もない)地区で21mにのぼりました
  • 島の南の青苗(あおなえ)地区は、津波のあと大きな火災にも見舞われ、189棟が焼けました
  • 亡くなった方と行方不明の方は、奥尻町だけで198人(この地震の全体では226人)

夜の10時すぎ。灯りの少ない島で、数分。
逃げる時間が、ほとんどなかったということです。

この「高さ」を、島では目で見ることができます。青苗の護岸に、青い板が貼られていました。

「↑11.0m 南西沖地震 津波の高さ」と書かれた青い看板|青苗の護岸に貼られている|奥尻島
青苗の護岸の「11.0m」。矢印の先まで、波が来ました

矢印の先に、11.0m。板には「南西沖地震 津波の高さ 平成5年7月12日 午後10時」と添えられています。見上げるような高さでした。

※ 数字は内閣府の報告書「1993年(平成5年)北海道南西沖地震」によります。

この記事では、その記憶を伝えている奥尻島津波館と、慰霊碑「時空翔」、そして島が植えた「復興の森」を、順にご紹介します。

奥尻島津波館で知ったこと

島の南、青苗地区に「奥尻島津波館」があります。観光協会の会長さんの案内で訪ねました。

館で知ったことを、私は旅のノートにこう書き残しています。

  • 地震が起きたのは1993年7月12日、夜の10時17分
  • 津波は時速500kmという速さで押し寄せ、地震のわずか3分後に島に到達した
  • この島の方々は、その10年前(1983年)の日本海中部地震でも、津波を経験していた

夜の10時すぎ。灯りの少ない島で、3分。

数字を前にして、しばらく言葉が出ませんでした。

コンクリートの壁に取り付けられた「奥尻島津波館」の切り文字の看板|奥尻島
入口の壁の文字
奥尻島津波館の外観|黒い壁の建物と駐車場、奥に海|奥尻島青苗
奥尻島津波館。青苗の海のそばに建っています

館内には、当時の記録や、島の方々の証言が展示されています。読んでいくうちに、ここは「災害を伝える施設」であると同時に、島の方々が自分たちの経験を残した場所なのだと感じました。

写真の時刻を見返すと、私が着いたのは午前9時40分すぎ、外に出たのは11時15分ごろでした。ゆっくり読んで1時間半。急がずに見るなら、それくらいみておかれるとよいと思います。

🏛 奥尻島津波館(2026年のご案内)

・開館期間:4月18日〜10月31日(冬のあいだは閉まります)
・開館時間:9:00〜17:00
・入館料:大人660円/小中高生220円
・休館日:月曜(ただし7月・8月と祝日は開いています)
・お問い合わせ:奥尻町教育委員会 ☎ 01397-3-1811

※2026年9月現在の情報です。開館期間は年によって変わりますので、お出かけ前にご確認ください。

黒御影石の慰霊碑「時空翔」

津波館のそばに、「時空翔(じくうしょう)」という慰霊碑があります。

黒御影石でできた、大きなくぼみをもつ碑です。海に面した石畳の広場に、静かに置かれています。

くぼみは震源の方角の海を向いていて、7月12日には、そのくぼみに夕日が沈むように設計されているのだそうです。

場所は青苗の徳洋記念緑地公園の丘の上です。奥尻町はこの碑について、「慰霊の碑であるだけでなく、島人が未来の奥尻を想う大切な空間でもあります」と書いています。

慰霊碑「時空翔」と刻まれた石の銘板|奥尻島青苗
「時空翔(じくうしょう)」の銘板
慰霊碑「時空翔」|黒御影石のくぼみをもつ碑が、海に面した石畳の広場に置かれている|奥尻島
時空翔。くぼみは震源となった南西の沖を向いています

私はただ、手を合わせてきました。

観光で訪れた者が、何かを語る場所ではないと思ったからです。

碑をあとにして、海沿いを北へ歩きました。海は、静かでした。

モッ立岩|岩場の海に立つ、人の頭のような形をした岩|奥尻島
モッ立岩。人の頭のような形の岩が、海に立っています(お昼ごろ)

復興の森——木を植えた島

島の中ほどに「復興の森」があります。震災からの復興を記念して木が植えられた森で、ブナの木々が、もうすっかり立派に育っていました。

私はこの森が気に入って、滞在中に2回歩きました。1回目は会長さんと一緒に。2回目はひとりで、キノコの写真を撮りながら、ゆっくりと。

入口の木の看板には、こう書かれていました。

奥尻21世紀の森
復興の森
函館営林支局「法人の森」

柱には「土砂流出防備保安林」の札も下がっていました。記念に木を植えた森というだけでなく、島の土を守る森でもあるのですね。

森のなかには、丸太を組んだ小さな小屋が建っていました。デッキのついた、山小屋のような建物です。朝の光が差して、とても静かでした。

「奥尻21世紀の森 復興の森」と書かれた木の看板|奥尻島
入口の看板。「函館営林支局『法人の森』」とあります
復興の森のブナ林|震災のあとに植えられ、25年で大きく育った木々|奥尻島
25年で、ここまで育つのか——
復興の森の丸太づくりの小屋|デッキのある山小屋のような建物|奥尻島
森のなかの小屋。朝の光が静かでした

25年で、ここまで育つのか——と思いながら歩きました。

木が育つ時間と、島が立ち上がる時間は、重なっているのですね。

島の北の端にも、慰霊碑がありました

じつは私がこの災害の跡にはじめて出会ったのは、津波館ではありませんでした。

島に着いた初日の午後、島の北の端にある稲穂岬(いなほみさき)——賽の河原と呼ばれる場所です——を訪ねました。海に向かって、黒い石の碑が立っていました。

稲穂岬に建つ北海道南西沖地震の慰霊碑|黒い石に碑文が刻まれ、その向こうに海|奥尻島
稲穂岬(賽の河原)の慰霊碑。島の北の端に立っています

碑文は、こう始まっていました。

1993年7月12日、突然奥尻島を襲った、マグニチュード7.8という(中略)北海道南西沖地震に遭遇し、死者・行方不明(中略)大惨事となりました。

そして、犠牲になられた方々の霊を慰めるとともに、後世にこの大惨事を伝えるために、稲穂岬に建立した——と続いていました。建てたのは奥尻町です。

島の南の青苗に津波館と時空翔があり、北の端にはこの碑がありました。訪ねたのは、島に着いたばかりの午後。この旅がどんな旅になるのか、まだ何も知らないころでした。

70代の足で、どうだったか

  • 津波館は館内の見学が中心で、体力的な心配はいりません
  • 復興の森は平坦な遊歩道で、お散歩の感覚で歩けます
  • 津波館から時空翔までは歩いて3分ほど。碑は丘の上にありますが、石畳の道です
  • 案内をお願いすると、島の方の言葉で25年を聞けます。私はそれがいちばん心に残りました

おわりに

私は「災害の島」として奥尻を訪ねたわけではありません。ウニを食べて、温泉に入って、のんびり過ごすつもりで来ました。

でも、津波館と時空翔を訪ねたあとは、島で食べるごはんも、宿のご主人の昔話も、ぜんぶ重みが変わりました。

この島の方々は、あの夜を越えて、いまここで暮らしていらっしゃる。そのことを知って歩く島は、まったく違って見えました。

奥尻に行かれるなら、半日だけ、この島の記憶に時間をとってみてください。

📝 旅メモ(2018年9月・6泊7日)

この記事の数字(発生時刻・津波の速さ・到達までの時間)は、奥尻島津波館で聞き、私がその場でノートに書き留めたものです。詳細は津波館の公式情報をご確認ください。

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