※この旅は2017年(平成29年)4月末〜5月のものです。施設・料金・ツアーの情報は当時のもの。おでかけの際は最新の情報をご確認くださいね。
※この旅は、離島旅をはじめたばかりの60代後半のころのお話です。(いまは70代、まだまだ島を歩いています😊)
青ヶ島に渡る前に、まず八丈島で2泊。じつはこの八丈島が、歴史あり、山あり、玉石垣ありの、歩きごたえたっぷりの島だったのです。
夜行船「橘丸」で、朝の八丈島へ
竹芝桟橋を夜10時半に出た橘丸は、明け方に三宅島、早朝に御蔵島へ寄って、朝8時50分に八丈島に着きました。
船で寝ている間に島に着いてしまうのですから、夜行船というのは、時間の使い方としてはなかなかの優等生です。70代の体には少々の覚悟がいりますけれど☺️
玉石垣の道と、流人の島の歴史さんぽ

初日は町なかをのんびり歴史さんぽ。郷土資料館で島の歴史を予習してから、まるい石をきっちり積み上げた玉石垣の道を歩きました。角のない石が、こんなにぴったり積み上がるものかと、しばし見とれてしまいます。
優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)にお参りして、ふるさと村、南原千畳敷へ。真っ黒な溶岩が海までずーっと広がる千畳敷は、火山の島であることを思い出させてくれる景色でした。
そして海の向こうに見えるのが、八丈小島。「八丈小島の碑」の前で、あの島にはかつて人が住んでいたと知りました。——このときはまさか、数日後に自分があの島に上陸することになるとは、思ってもいませんでした。その話は、のちの記事で🥰
宇喜多秀家と豪姫——関ヶ原に敗れた大名の島
八丈島は、江戸時代の「流人の島」。その流人第一号が、豊臣秀吉に重く用いられた大名・宇喜多秀家です。関ヶ原の戦いに敗れて八丈島に流され、この島で長い長い後半生を生きました。
都に残された妻の豪姫(ごうひめ)は、生涯にわたって島の秀家に仕送りを続けたのだそうです。海をへだてて想い合うふたりの物語に、資料館でしんみり。歴史というのは、教科書よりも、その土地で聞くほうがずっと心に沁みますね☺️
八丈富士ツアーへ——70代、伊豆諸島の最高峰に挑む



2日目の朝9時、いよいよ八丈富士へ。標高854メートル、伊豆諸島でいちばん高い山です。
70代のひとり旅で山に登るのですから、ここは無理をせず、ガイドさんと一緒に歩くツアー(Project WAVE)にお願いしました。ガイドの宮崎さんが、道々の草花をひとつひとつ教えてくれます。ガクアジサイ、タマアジサイ、ヤマグルマ——名前を教わりながら歩くと、ただの坂道が植物園に変わるのです。
八丈富士の登山道は、約1,280段の階段が続くことで知られています。一段一段は急ではありませんが、なにしろ数が数。自分のペースで、休み休み、が70代の鉄則です。
山頂の浅間神社と、火口をのぞくお鉢巡り




お昼すぎ、山頂の火口のふちにある浅間神社にお参りしました。眼下には火口、振り返れば海と空。富士山と同じ名前の神様が、島のてっぺんから暮らしを見守っています。
火口のまわりをぐるりと歩く「お鉢巡り」は、天気がよければ八丈小島や青ヶ島方面まで見わたせる絶景の道。火山の島に登って、火口をのぞきこむ——なかなかできない経験です。
玉石垣の謎解き——石は海からやってきた

ツアーの締めくくりに、宮崎さんが玉石垣の謎を解いてくれました。あのまるい石は、横間ヶ浦の海岸の玉石。波に磨かれ続けた石で、聞けば16万年も前からの火山と海の合作なのだとか。
昔の人は、この重い石を海岸から一つひとつ運んで、あの美しい石垣を積んだのだそうです。初日に見とれた玉石垣が、2日目の夕方には「島の歴史そのもの」に見えてくる。旅の順番というのは、うまくできていますね。
まとめ——70代の足で、八丈富士はどうだったか



・八丈富士は約1,280段の階段道。急坂ではないけれど、長丁場。休み休みで大丈夫
・70代のひとり登山なら、ガイドツアーが安心。草花の解説つきで、しんどさが半分になります☺️
・歴史さんぽ(資料館・玉石垣・千畳敷)は坂も少なく、初日の足慣らしにぴったり
・夜行船の朝着は時間の優等生。ただし体力と相談を
次の記事は、いよいよこの旅のハイライトのひとつ——いまは誰も住んでいない島、八丈小島への上陸のお話です🥰
🗾 これまでに訪れた島の一覧はこちら:日本の離島 一覧|70代の女一人旅で訪れた島の記録
📚 八丈島・青ヶ島ひとり旅シリーズ(記事一覧)
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